雄叫び?

最近、車の中で咆哮している。南部塾での熊谷氏に感化されたらしい。
熊谷氏というのは運送業を起こした人で立志伝中の人といっていいだろう。
気安く、熊谷氏などと云っては失礼にあたるかも知れない。
 何でも熊谷氏は、東京に出たてのころ、当時はまだ荒地であった江戸川区の一角で夜中、野犬に囲まれたらしい。群れが集り、よだれを垂らしていて、そのよだれの臭いが熊谷氏の鼻を突く。しかもその集団は後からやってきた犬を追い払っている。
 分け前が減るからである。リーダー格の3匹が、熊谷氏の喉を狙って飛びかかろうとした刹那、熊谷氏は大声を張り上げた。
 すると、その3匹は腰を抜かして、その場にへたりこんだのだ。やがて犬は群れを解散し、ちりぢりに闇に消えた。この話は前降りで、熊谷氏は大きな声を出すことで肚ができるのだ、という風に話をつないだ。
私も大声で、犬をやっつけたことがある。5年も前になるだろうか。ある田舎の旅館に泊まったときのことだ。市町村が財団法人をつくって、町おこしのための旅館と温泉の運営をしていることがある。
公共団体は営利事業ができない。そこで財団法人を誂えて、公益事業の名目で旅館や温泉を経営しているのだ。市町村が株式会社を運営することはできないが、財団法人ならこれまでは問題はなく運営ができた。
 これまではと書いたのは、法律が変わって、公益法人が公益法人のままで、営利事業をすることはできなくなった。この話は、いささか専門的で長くなるので割愛する。私が泊ったのはそのような旅館である。
 投宿後、散歩に出た。夏のことではあったが、日も蔭り山間の旅館こととて、涼しい風か頬を撫でた。旅館の裏手に回り、小川に添った細い道を山の方に向かって歩いた。人通りはない。
 そこで犬と出合ったのである。雑種だろうか、我が家の柴犬鯉太郎よりもかなり大きく、茶色の精悍な目つきをしていた。その犬が私の向かって吼えたのである。
 人の気配がないのを幸いに、からかうつもりで、犬の鼻先で私も負けじと大声を張り上げた。
するとどうだ。犬は急に立てなくなり、あまつさえおしっこをちびりだした。おやおやと思ったものの、それから10分程度小道を歩いた後、踵を返した。
 先ほど、犬と出合った場所までくると飼い主だろうか、ご婦人が2人、その犬に声を掛けている。犬は相変わらずへたりこんだままだ。腰が抜けた状態になっていたとは、熊谷氏の話を聞いて合点がいった。
 私はそ知らぬ顔で、その場を通り抜けた。犬は恨めしげに私を見ていた。
もし犬が話をできるなら、私に吼えられた、と飼い主に告げるだろうか。しかしなあ、犬にだって沽券があるだろう。人様に吼えられて腰を抜かした、などというのは犬からすれば、不名誉なこと夥しい。
 さて、この熊谷氏の話を聞いてから、時々思い出したように私も、車の中で大声を出すのである。朝夕車を運転して駅まで、私の送り迎えをするのは配偶者。その横で私が吼えるのだ。社外から目線がくるのではないかと、小心ものの私は外の様子を窺うのであるが、人もすれ違う車も、無関心。心配どうやら杞憂のようだ。安心して吼えられる。
 配偶者は、私の奇行には関心がないのか、そ知らぬ顔をしている。私が大声を出すに至ったいきさつは聞いてもこないし、私から配偶者に話すこともない。 私のシールド内には一切入ってこないのだ。その癖たまに、今までどこにいってたん?、と、こちらがドキっとするような質問を浴びせられることはある。
熊谷氏の話では、大声を張り上げて肚を鍛えれば、鬱やパニック傷害にも改善の効果があり、それに大声を出すことで、丹前の辺りに硬い固まりのようなもの、が出来てくるらしい。そうすれば覚悟も定まるとのこと。
 さて、私の場合はどうか。今のところ、肚に固まりができた気配はない。しかしである、胃には効くようだ。大声を張り上げることで、喉が掠れて、胃の腑にむかつきが走る。丁度酒を飲みすぎて、気持ち悪くなるあの感覚なのだ。おまけに涙さえ出る。
 しかし胃がむかつくときというのは、2種類ある。それは胃の調子が悪くなっていくときと、胃の調子の回復期にも起きるようだ。酒も飲んでいないのに、大声を出して胃にむかつきがくるというのは、胃の調子が良くなっているに違いないと勝手に決めた。固まりはできるのだろうか。できたと思ったら悪性腫瘍だったりして。