アケビの花と菅首相

我が家のアケビは実が成らない。花は咲けども・・・というやつである。
アケビには3枚葉と5枚葉があり、両方一緒に植えないと実は成らない、と教えてくれた人がいた。
実は我が家のアケビには3枚葉と5枚葉が既にある。我が家の5枚葉というのは、楕円計で細長く、3枚葉の方は葉も広く多少ギザギザがある。この人の話から、我が家の3枚葉と5枚葉はそれぞれに種類が違うから実が成らないと思ったのだ。
過去にも何回かアケビの種を植えたことがある。ところがいずれも失敗した。まず芽が出ないのだ。これもそのアケビ通の人から聞いた話だが、アケビというのは、種をそのまま植えても芽がでないという。
動物に食べられて糞としてひり出され、それで芽が出るのだそうな。つまり動物の身体を潜ることで、アケビの種をコーティングしている膜がとれなければ駄目だということらしい。
そこで、一昨年は道の駅でアケビを買い求め種を沢山取り出し、水洗いをしてコーティングされた膜を取り払い植えてみた。このときばかりは近くの公園もいくつか周って種を植えた。ところがどれもこれも一向に芽がでないのである。
こうなると種から植えるというのはもうお手上げ。我が家には5枚葉は既にある。そこで昨年、山の登った折、3枚葉の幼苗、それも楕円形で細長い3枚葉を引き抜いてきて植えた。ところが3枚葉と思ったものが植えて暫くすると5枚葉に変わった。
またいくら探しても5枚葉で葉が広く多少ギザギザがあるアケビの幼苗は見つからないのである。
今年も4月の終わりから5月の始めにかけて、花は咲いた。アケビの花は清楚でかつ可憐である。ところがやはり実がなっていない。
 そこでネットで調べてみたところ、次のような組み合わせが見られるようなのだ。
 1 両性花のみ
 2 雌花 + 雄花
 3 両性花 + 雌花
 4 両性花 + 雄花
 5 両性花 + 雌花 + 雄花
なるほど、これなら3枚葉も5枚葉も関係がない。要は山に行って、違う場所で多くの幼苗を引き抜き、植えてみるより方法がない。それも株は多いほうがいいだろう。そして花が咲いたら手で受粉させることだ。
 ちなみに3枚葉、5枚葉というのは、アケビの雌雄ということではなく、単にアケビの種類に過ぎないのであろう。
 私は、そのアケビ通の人から3枚葉と5枚葉の話を聞き、それがてっきりそれぞれにどちらかが雌雄だと誤解していたのだ。こうした理屈に基本を置いて、現実を眺めると、現実がおかしく見えるものである。自分の信じたことが間違いだとは気が付かない。
 しかもその理屈の無謬性を強く信じれば信じるほど、現実が大きく歪んで見えるものなのだ。これを正常性バイアスというらしい。
 菅首相など左翼の衆も、どこかで間違った理屈を正義と信じ込んだのだろう。年輪を経てその信仰は益々揺ぎ無いものとして定着したのだ。非難され糾弾され指弾されるほど、その傾向は強くなる。まるで南無阿弥陀仏のムシロ旗を起てて、欣求浄土を叫んでいるようだ。
 菅さんは今、自らが受け入れられない政治状況というものが、奇妙なものとして目に映じているはずだ。
 それは私の目に管さんの政治音頭の取り方が異常に見えるのと同様だろう。
 しかし通常であれば、現実を詳細に観察して理屈を糺す。佐々淳行氏によれば、村山富市氏も土井たか子氏も、およそ社会党の面々はガバナンスという点ではまったく駄目だったらしい。左翼というのは現実から考えるという視点がないのだろう。