安定を保証するもの

前回の続きである、事業は駒のようなものだと書いた。
駒なら回す人がいることになる。すなわち駒の動力源はなにかということだ。駒それ自体に自らを回すエネルギーなどない。
 駒の動力は回す人である。事業で言えば客である。お客様が回して下さるのだ。より良く回してもらうためには準備を怠ってはいけない。環境は絶えず変わるのである。
 昨日同友会生野・天王寺支部の例会がたかつガーデンで開催され、テーマは「克己」であつた。すなわち己に勝つということである。
 しかし、駒だって時間とともに摩耗するし、物質である以上いずれは消滅する運命にある。
人も同じである。夜寝るときは、一旦そこで死んだのと同じ状態になる。朝起きれば、それは既に昨日の自分ではない。ところが人は意識が継続するものだから、朝の自分は昨日からの自分であると誤認している。
つまり肉体や環境は刻々と変化しているにも拘わらず、意識は従来のままである。
それは人にとっては安易な妥協であるが、思考省略は楽な道であるから、大概の人はそこから抜け出ることができない。
 克己とはつまるところ、その意識を時代の変化に照応させて意識的に変えていくことである。
 ところで、「駒に意識はありや?」。禅問答のようになってきたから今日はこの辺で。