安定

生活の安定というと、リスクなしで収入(例えば借入なしの物件から上がる賃貸収入)を得ることとか、宝くじにあたることとかを考える。
実は私も宝くじは大好きである、大口が当たったことはないけれど。
しかし、人間と言うのは足に根っ子がついている訳ではないし、五体は活動を続けなければ体力は維持できないように出来ている。
 従って、人体は駒のようなものである。回っているときのみが生きているときなのである。駒は回るとき自体が非常に不安定な様相を呈す。軸足がなるたけ細くかつ鋭く、回る場所も出来たら摩擦が少ない硬い平地の上が良い。
 またよく回る駒は胴体と軸足のバランスがとれている。
 事業経営にこれを例えると、軸足は自らの持ち物であるから、自ら鍛えねばならない。今風にいうといわゆるスキルの部分であり、売り物の部分である。また何の上で回るかということについては、回りやすいように環境を整備するということになる。
 胴体を財務の部分と考えれば、それは軸足との比較で考えるわけだから、最適規模は自ずと決まってくるだろう。
 駒が安定しているのは、唯一勢い良く回るときのみ。その安定は不安定の上に成り立っている。安定を求めて不安定を作り出しているという言い方も出来るかも知れない。
 事業経営も常に新しい不安定を求めねばならぬのである。商品開発、人の教育、資金繰り、みなそうである。
安定を求めて不安定を作り出す。これは覚悟の問題でもある。
そうはいってもまた折に触れ宝くじは、買うけれども。

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