玉音放送~終戦の詔勅を読む

覚えていらっしゃるだろうか。昭和61年(1986年)4月29日は、東京両国の国技館で皇族、各国大使、各界代表6,000人が集り昭和天皇の在位60周年記念式典が挙行された。
 その時、昭和天皇は頬に一筋の涙を流されたのである。
 今年、マエストロの会という勉強会にて、昭和天皇の終戦の詔勅(玉音放送)を読ませて頂く機会に恵まれました。
そこで改めて昭和天皇の、この涙を思い出した次第です。
この勉強会では、玉音放送の内容を読んだだけではなく、玉音放送での昭和天皇の肉声をもすべて、聴かして頂きました。

そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)を図り万邦(ばんぽう)共栄の楽しみを偕(とも)にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措さる所

しかのみならず敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に(しきりに)無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る

帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れ(たおれ)たる者及其の遺族に想いを致せば五内(ごない)為に裂く

爾(なんじ)臣民の衷情も朕(ちん)善く之を知る

然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かむと欲す

朕は茲(ここ)に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんき)し常に爾臣民と共にあり

これは玉音放送の抜粋ですが、昭和天皇の悔しさが滲みでています。この昭和天皇の悔しさ、苦しさを挺して、戦後は国民一丸となり国家を再興させたのでしょうね。
 しかし今どうでしょう。昭和61年4月29日の昭和天皇の涙、陛下の胸に去来したものは,果して何であったのでしょうか。

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