プロの道
ある関与先に電話を差し上げたら、女性が出た。その女性の顔は知らないのであるが、感じるところがあって、私が電話を差し上げた方に、先ほど電話口に出られた女性は良い応対をされますね、と申し上げたところ、昔電話の交換手をやられていたことがある、とのことであった。
自宅の庭に松の木がある。1年に1回、暮れになると植木職のTさんが剪定に来てくれる。実は一昨年までは、Tさんのお父さんが剪定をして下さっていたのだが、体を壊され、昨年はIさんが剪定をしてくれたのだ。
実に上手いのである。松の枝がうねりを持って、呼吸をしている、散髪をしてもらって木が喜んでいるのが分かる。清々しく美しい。成る程と思わせる。
話を聞いてみると、出藍の誉れよろしく、お父さんに子供の頃から厳しく指導されたらしい。植木というのは、剪定一つでこんなにも変わるものなのか、という感動を覚えた次第である。
シルバーから人を呼んで来て、安易に枝刈をしてもらうようなことでは、植木が死んでしまうだけでなく、植木そのものに何の美も感じなくなるであろう。
それであれば、植木を切ってしまい、コンクリートで固めたほうが、庭の掃除も必要なく楽だ、とうような発想になる。最近の若い人は家を建てても木を植えないのは、剪定した庭木の美しさを知らないからでもあるだろう。
しかし考えてみれば須らく世はその方向にある。楽と得、それに安易で安いものばかりを求めた結果、プロが放逐された。机や椅子にしても殆どがスチールやベニヤ板。
瀬戸物の食器にしても、使い捨てのプラスチック類に変わった結果、絵付けが下手になったそうである。
身の回りのもので、美術工芸品的価値のあるものは消えたのだ。
Tさんも、自らのホームページでも開設して、自らの仕事振りを是非アピールして欲しいと思う。剪定前と剪定後をウェブに載せるのだ。若い人が1人でもそれに感動して、家を建てたとき庭木を植えたい、あるいは植木職人を目指したい、思ってくれれば、それで需要を増やしたことにもなるし、日本の文化と伝統を護ることにもなる。
私も税理士としていい仕事をしたいと、いつも思っているのですが・・・。