2009年(平成21年)の始まり

平成21年(2009年)が始まりました。
2日の9時40分頃、地下鉄難波駅を降りて、地下街を日本橋まで歩きました。地下街は歩くのが楽しいものです。立ち寄ったのが喫茶店○○屋。コーヒーの値段が高い店です。
コーヒーにはミルクが付いて出てきます。なんとこの○○屋、そのミルクがスジャーターでした。
 コーヒーに通じた店なら、通常はスジャーターを出しません。しかもこの店、コーヒー1杯が530円です。店員さんには文句を言っておきました。
スジャーターでは、コーヒーの味を殺してしまいます。200円のコーヒーを売っている店でなら、文句はいいません。
 ところでスジャーターは人の名前です。2500年前、お釈迦様が難行をして、行き倒れになったところに、スジャーターという村の娘が現れ、ミルクをお釈迦様に与えました。
 お釈迦様は、それで難行には意味がないということを悟られたそうです。
しかし、私のように凡そ平々凡々と暮らしている人間が、難行には意味がないと言っても、それこそ意味がありません。お釈迦様は難行苦行の末にそれを悟られたということが、大事なところです。
 年末のこのコーナーにも書きましたが、私は1人でいることが結構好きです。ボーとして変わらぬ1人の私を楽しむのが好きだということです。喫茶店はその格好の場所なのです。
 ところでアメリカのオバマ新大統領はチェンジ(改革)を旗印に戦いました。そして大統領選に勝ち抜きました。しかしアメリカ市民が、心からチェンジに共感したのなら、アメリカ市民というのは不幸だと思います。人間というのは幸せであれば変化は望みません。
日本国民は実は誰も改革などは望んでいませんよ。しかし日本の政治家もすぐに改革(チェンジ)を叫びます。そうすれば受けると思っているのですね。
まあ政治家の任期は通常は4年ですから、そこで成績を残さねばなりません。つまり功を焦って、しなくてもいい公約を掲げるのです。短期のスパンで業績を残そうと思えば奇を衒う以外にありません。小泉改革などはその典型でした。
しかし人とは面白いもので、平安だとその平安に飽きてきます。それチョイトした変化が欲しくなる。しかしそれは変化であって改革ではありません。改革というのは通常頭からは起きませんよ。必ず足元から起きて来ます。いわゆる下克上というやつです。
アメリカはその頭がチェンジを叫んで、市民が賛同を示しました。ということは、市民の側に利益をもたらす様な変化は起きません。
選挙期間中オバマの選挙資金が潤沢であることが、一部噂で流れました。その資金を誰が出したか、というのが面白いところです。オバマに選挙資金を潤沢に提供した筋が最終的にオバマ政治の利益を享受します。しかし下々にも少しはそのおこぼれがあるかも知れません。アメリカという国は民主主義の国ですが、同時に資本主義の国でもあります。民主主義と資本主義が合体すれば、市民は幸せになるのかというと、そうではなさそうです。新しい隷属国家が生まれるのではないかと、最近は思うようになりました。
日本は戦後に民主主義を受け入れたなどというのは、嘘ですね。
1868年「五箇条のご誓文」が明治政府の基本方針として決議されました。「広く会議を興し万機公論に決すべし」というのは有名です。これを読めばわかることですが、日本は100年以上も前から民主主義国家を目標にしていたのです。しかしその民主主義に資本主義が合体して日本もおかしくなりました。それが最近の派遣切りなどとなって現れています。ただこれを企業のみの責任に帰すのは無理があります。やはり日本という国の国柄、国民的コンセンサスを枉げた政治のあり方に大いに問題があるように思います。
お釈迦様も今から2500年前、自らの改革を図りました。そして改革には意味がないことをお悟りになったのです。
少しずつゆっくりと、時は流れ世の中は変わっていく、それは短兵急な改革というものではありません。そのことが、人の心を落ち着け豊にします。
今年もゆっくりと、喫茶店での寄り道を楽しみつつ、駒を進めます。
ところでコーヒーに入れるスジャーター、あれはミルクに対しては改革にあたるのでしょうか。