事業再生に至る前に

私は「NPO関西事業再生支援センター」のメンバーです。今年の計画として大阪日日新聞に同NPOの活動状況を週1回の割合で掲載することになりました。会員諸氏にその文書をお願いしているところですが、なかなか集まりません。私がその広報委員長のような役割を担っていることもあって、11回分の原稿を書きました。以下の文書のうち、既に新聞掲載されたものもあります。以下の文書は具体的な事業再生現場からの報告ではありません。その前段階での注意事項です。
 なお新聞原稿は1回分がおおむね500字という制限がありましたが、以下の文書はその制限を外し追加して書きました。

事業再生の背景(1)
「事業再生」は、バブル崩壊後に生まれた言葉です。それまで企業の倒産は、経営者の社会からの退場を意味しておりました。バブルは1985年9月のプラザ合意に始まりました。低金利政策のもとお金は土地と株に向かったのです。1990年4月、大蔵省は土地の取引を抑えるための総量規制を出し、不動産の高騰による資産格差は社会問題となり、土地取引に関しては都道府県にその取引価額を事前に届け出るとともに、税制面でも重課税制度が設けられました。
日銀も金融引締めに走りました。覚えていらっしゃる方もおられると思いますが、当時日銀の総裁であった三重野氏は平成の鬼平ともてはやされました。しかしそれがかえってバブル後遺症の傷口を広げたという側面があります。それは高速走行をしている車に、警察がいっせいにブレーキを掛けるように指示命令を出したに等しいからです。
バブルは1991年の末ごろに終焉を迎えます。日本経済は景気後退への道をひた走り、不動産業を中心に倒産が続出しました。それまで日本の経営者にとって倒産や破産は恥辱でありました。しかしバブルの発生とその崩壊は政策のミスに負うところが大であり、倒産は企業の責任ではないという考え方が広まりました。
このように経営環境と企業経営が悪化するなか、1995年ごろからは民間金融機関のいわゆる「貸し渋り」や「貸し剥がし」の問題が表面化してまいります。また、倒産が金融機関にも波及したところから、監督当局は1997年4月に、金融機関の経営の健全性を確保するという目的で「早期是正措置」をとりました。続いて金融庁からは「金融検査マニュアル」が出され、金融機関の貸し出しルールが従来のそれとは激変しました。

事業再生の背景(2)
金融機関の貸し出しルールが変更されたため、企業の返済が滞り、倒産は日常化することになり、倒産を恥とする風土はここに終止符を打ったのです。2000年4月には、民事再生法が施行されます。また政府も貸出債権のオフバランス化推進を目的としてRCCの設立や企業再生ファンドの創設を認めるようになってまいりました。民間においても税理士や会計士、または自らの倒産体験をもとにして、事業再生に取り組む人たちが現れてきました。
では事業再生はどのような企業でも可能なのかというと、そうではありません。事業再生の手法が開発されたからといっても再生が不向きな会社の方が圧倒的に多いというべきです。企業の倒産には販売不振、過剰投資、品質劣化等々様々な要因がありますが、その原因を深く観ていくと、そこには経営の体質というものが見て取れることが多いものです。倒産する会社の経営者というのは、生活が派手であったり、何かにつけてルーズであったりします。不渡手形を掴まされ、あるいは過剰投資が過ぎて倒産の憂き目を見る場合などでも、そこには経営判断の甘さがあるわけですから、やはり経営者の体質が関与しているとみて差支えありません。
ただ問題をこのように片付けてしまうのはやはり危険で、時代の変遷のなかでこの世からの退場を余儀なくされつつある業種もあります。時代のめぐり合わせで、そのような事業の経営にあたった人はお気の毒としかいいようがありません。

事業再生の背景(3)
 事業再生とは、直接的には破綻しそうな会社を債務カットや会社分割などの外科的手法を用いて立ち直らせることをいいます。健康な経営者なら人の意見も聞き、常日頃から経営チェックをしてその体質の維持管理に努めますから、いわば毎日が事業再生をしているようなものです。したがって事業再生というのは、倒産しそうな会社特有の問題ではありません。では倒産しそうになって、再生ができる会社とはどのような会社を指すのかということですが、まずは収益の柱となるような事業があれば、それを中心に置くことで再生が可能です。また目立った収益の柱は無くとも、一連の再生プログラムを実行するなかで、経営者が気の重い資金繰りに追われなくなり、本来の事業目的に邁進できるような体制を創れるなら、これも再生は可能となります。
しかし経営者の劣化に起因する経営悪化はどうしょうもないことが多いのです。このような会社を再生する場合一番確実な方法は、社長が交代することです。既に倒産してしまった会社でも経営者が代わっていれば、破綻を免れた会社というのは数多くあったはずです。本当に残念なことです。

倒産をさせないために(倒産に至る病)(4)
 ある経営者の話ですが、朝、会社に出社して何を考えるかというと、まず自分の会社を壊すのだそうです。本当に壊すわけではありません。イメージで会社を壊すということす。壊したあと再生にかかります。再生にもイメージを働かすのです。社長がこうしたことをやっている会社というのは強いですね。そこで気がついたことを、経営に投入して悪いところを直し、良いところを伸ばし、常に時代の変化を読み取って、商品構成を変えて生き延びていくのです。会社というのは永続させねばなりません。命を延ばすことが使命であり、経営目的であるといって過言ではありません。人というのは順風満帆であれば、そこにしがみつきます。そうして守ろうとします。それは事業を守ろうとするのではなく、たいていはその快適な状態を守りたいということです。
ゴルフ会員権やリゾート施設をいくつも持ち、有名社交クラブの役員を引き受けて年間1千万円からの社交費を使う。本当に馬鹿げています。こうした経営を返り見ない経営者というのは、少なからずいるものです。早晩倒産か再生かという選択が迫ってきているにもかかわらず、気がつきません。お尻に火がついていることが分らない。傍から見ていると不思議な気分がします。危機感を持って毎日再生していれば、本当の再生はしなくて済みます。

倒産をさせないために(倒産は避けることができる)(5)
 倒産を避ける一つの方法は、人の意見を聴く耳を持つことです。2007年版中小企業白書によると、時代の変遷をまともに受けて倒産、廃業を余儀なくされている企業群として木材、木製品製造業や家具・装備品製造業、出版・印刷・同関連産業などが上げられています。税理士としての実感としてもそれは感じます。時代の変化で商売がなりたたなくなり廃業に至る、というのはいつの時代でもあります。こうした廃業や倒産はそれを体験した人にはお気の毒としかいいようがありません。
しかし倒産劇は避けられたにもかかわらず倒産や廃業に至るというのは、経営者の奢り、見識のなさに由来します。しかし倒産した経営者の殆どはそうは考えていません。倒産したのは良い従業員に恵まれなかったからであり、不渡手形を掴まされたからであり、製品が値崩れしたからであり、家族に理解がなかったからであり、と、とかく自分以外に倒産の理由を求めるものです。そこには悔悟のみあって懺悔や反省がありません。
会社が倒産したのは社長!すべてあなたのせいです。会社に倒産の徴候が見えた場合、その社長のまわりにいる人間でそれに気づいている人間が意外といるものです。そしてその人たちは、やきもきしながら、経営状態を視ています。社長一人が無頓着なのです。気がついている側もそれを視ていながら忠告ができません。(続く)

倒産をさせないために(忠告が聞けない社長)(6)
 人の忠告を聞かない社長は、まず自分が全て正しい、自分には無謬性がないと信じています。従って自分の経営方針と対立するような意見は入れません。入れないばかりか耳に逆らうような意見を出すと、意見を出した人間を排除しょうとします。そうなると、たとえ社長と利害を同じくする社員であっても、意見具申ができません。もう一つは社長がその会社を自分の財布ぐらいにしか考えなくなった場合です。この場合、社員は社長を見限ります。そしていずれの場合も給料がもらえているうちは、黙って言われたことだけをしておこう、となります。私は職業が税理士ですから、顧問先の会社がよく見えています。また見ようと努力もします。訪問をしたときは、その会社の従業員の姿勢、表情、言葉、応接、整理整頓の状況などをそれとなく観察します。また授業員さんと親しくなると、ぼそぼそと内緒話をしてくれたりもします。
 従業員さんと仲良くなると、会社の行く末を心配されている方はいらっしゃいます。しかも女性職員さんの方が、実直に語ってくれることが多いように思います。
そうした内緒話を社長に話をするときは、まず私のなかでその問題を咀嚼し、なるほどと思うことのみを、私の言葉として経営者に伝えます。もしワンマン社長に「あんたとこの社員さん、こんなことを言ってたよ」などと言おうものなら、大変なことになります。私自身が信頼を失います。意見具申をしても聴いてくれる社長とそうでない社長がいらっしゃいます。しかし聴いてくれて、それを実行に移す、あるいは実行に移さないまでも記憶に留めておいてくれている社長というのは少ないものです。また人の話を遮って自分がいかに正しいかを滔々としゃべる社長も中にはいます。

倒産をさせないために(忠告は誰がしてくれるのか)(7)
 私は税理士という仕事をしています。社長が困ったときに相談相手として誰を選ぶかという問いで、一番多いのが顧問税理士ということになっているようです。税理士としては嬉しい限りです。しかし税理士も顧問料を頂戴しながら仕事をしている身ですから、意見を出すときは社長の日常の経営姿勢や、性格、その日の機嫌の状態を観察しながらにします。また言い辛いことは直言しません。下手なことを言えば自らが切られます。正しいと思うこと、社長のため、会社のためになると思うことを諫言して、切られたのではお話になりません。
 この辺りが、梅谷先生とは違うところで、内心苦笑せざるを得ません。
経営者は覚悟を決める必要があります。それは馬鹿になれということです。嫌なことを言われてもヘラヘラ、にこにこして、もっと言えというぐらいの態度でいることが大切です。
しかし、社長というのは本質的に威圧的であるのが普通ですから、ヘラヘラにこにこしていれば誰でも意見を上げてくるかというとそうしたものでもありません。自らが積極的に尋ねることです。報告・連絡・相談、いわゆるホウレンソウが大事であるということは誰でも知っていることですが、大抵の社長はホウレンソウは自分が受けるものであって、自分から発するものだとは考えていません。本当は社長こそがホウレンソウを使うべきなのです。それでも、やはり皆様が社長に本音で話をしてくれているかどうかは、分かりません。それほど社長には実直な意見が上がらないものです。社長は相手と話をするとき鋭敏な神経を持って接することが大事です。
 先ほど、関与先の某社で社長を交えて話す機会がありました。それは財務分析についての話でした。私が分析したところ同業他社比較で売上に対する材料比率が15%も高いのです。当然のこととして、あまり利益が出ていません。担当の社員さんに尋ねますと、私の分析は間違っていませんでした。とにかく不良が多く出るとのことでした。私の役割はその不良を無くすことではなく、社長にそこに気が付いて、原因を探って早急に対策を立てて貰うことでした。社長を交えた会議では当然その社員さんにも出席を願ったのですが、話題がそのことになり、くだんの社員氏に話を振りますと、その社員氏は、なんと不良は月間ベースで30万円ぐらいと言ったのです。
売上が月間ベースで5千万円ほどですから、まったく辻褄が合いません。この話はそこで終わりにしました。真面目な好感が持てる社員氏ですが、社長がいる席では矢張りざっくばらんな会話ができないようでした。

倒産をさせないために(言葉の行間を読む)(8)
 人は話をするときには、相手を傷つけないために世間の例を引き合いに出すことがあります。聞くほうはそれを単なる世間話なのか、それとも忠言なのかを読み取らねばなりません。また例えば社員さんが職場でちょいとした怪我をしたとします。医者に行きました。夕方、社長はその報告を社員さんから受けます。「社長、怪我をして時間を頂き病院に行ってまいりました、済みませんでした。」と報告があったとします。これを、ああそうか今後気をつけたまえ、だけで済ましてはならないということです。ひょとしたらその社員さん、残業に継ぐ残業で疲れていたかも知れません。家庭の心配事があってうっかりしていたかも知れないし、あるいは、腹立ち紛れに機械を叩いて怪我をしたのかも知れません。そこでその社員さんに怪我の原因を尋ねます。どのような反応を示すかが大事なのです。腹立ち紛れに機械を叩いて怪我をしたのであれば、報告態度に不自然さが出てまいります。そこに労務管理上の大きな問題が潜んでいることもあります。人間は言葉だけでなく表情や態度でも意見表明をします。神経を鋭敏にしてその反応を読まねばなりません。言葉の行間を想像で補い、あるいは別の人間にそれとなく尋ねることです。徴候から重大な課題を抽出して手を打つことで、未然に倒産を防ぐことが可能となります。

倒産をさせないために(会社財務の公開)(9)
 私の知り合いでオープンブック経営を提唱してる木村勝男さんという方がいらっしゃいます。アーバンベネフィット(株)の会長でいらっしゃいます。財務のすべてを社員に公開するというわけです。どうです、できますか。まずはできません。財務を公開するとなると、社長と社長一族の給料から交際費まですべて見せる覚悟が必要となります。日本の企業は90%以上が同族経営です。同族会社には同族経営の良さというものがあります。責任の全ては社長に集中し、意思決定も早いといった特長がある反面、経営にわがまま生じやすく人が育たないという欠点も持っています。こうした会社では優秀な社員さんほど腐ります。先が見えてしまうからです。財務を公開することで、まず経営者が恣意的に会社を所有するという弊害を除くことができます。経営姿勢に公平さが出てくれば、社員さんにも協力を仰ぎ易くなります。なによりも社長の経営責任の一端を社員さんにも担ってもらえますから、経営が楽になります。木村勝男さんは、オープンブック経営ということに加えて、損益計算書よりも貸借対照表重視の経営ということをいっていらっしゃいます。もちろん儲けることが不必要だということではありません。儲けたお金がどのような形で会社内に蓄積留保しているのかを重要視するということなのです。本当にこの通りだろうと思います。調子の良いときはいけいけどんどんで、売上を伸ばしたいのが人情ですが、それでは経営は持たないことがあります。経営はいつも貸借対照表(財務バランス)と相談するということにすれば、多くの倒産は避けられます。
 なお木村勝男氏に、ご興味を持たれた方は、ネットで「木村勝男」と検索して下さい。

倒産をさせないために(不易流行を考える)(10)
原理原則は不易の研究から生まれます。この世を構成しているのは人です。人は喜怒哀楽を等しくしています。それは人が人である限りいつの時代もそう変わるものではありません。喜怒哀楽の研究に一番適しているのは、自分自身です。自分の心の微細な変化や動きを観察すれば、あなたが人からどのような処遇・応接を受ければ喜び、怒り、悲しみ又は楽しみが生じるかがわかります。その裏返しで世間と付き合えばよいのです。この研究は神経を鋭敏に研ぎ澄ましているだけの話ですから、原価は1円もかかりません。これが不易の研究、すなわち原理原則を発見する道です。次に流行ということを考えねばなりません。流行には二つの意味があります。一つは目先の変化であり。もう一つは地殻の変動です。目先の変化と地殻の変動を混同しないことです。石油を例にとりますと、車の燃料としては寿命が尽きかけています。あと10年立たないうちに車の燃料はガソリンから電池などの代替品に置き換えられます。これは地殻の変動です。しかし同じ石油製品であっても車のハンドルは車の設計変更で変わります。これは目先の変化にあたります。ここのところはよく観察しなければなりません。新規にガソリンスタンドの開業をするのは考えものですが、ハンドルなら設備投資をしなければならないということです。こうした流行のはやりすたりそれ自体もまた、不易であるといえます。倒産を避ける一つの方法として、人間の本質と、社会の変化・変動を常に観察して手を打つことが大事です。

倒産をさせないために(危機感を持つ)(11)
 人間には寿命があります。この世の生きとし生きるものは全てに初めと終わりがあります。これは抗いようがありません。事業も同じで、どんなに立派な理念を掲げても、どんなによい経営者に恵まれてもやはりいずれは消滅します。「売り家と唐様で書く3代目」という言葉がありますが、何代にも渡った経営というのはなかなかできるものではありません。
なかには何百年も続いている事業体というのもあります。これは稀です。永く続く経営というのは、社風や理念が正しく継承されていて、後継者に恵まれ、商材も時代の変化に対応させているからであろうと思います。100年の事業を夢見るのであればこの3点を徹底して考えることです。人は寿命が限られておりますから、永遠性に憧れを持ちます。事業に対しても同じです。
しかしいかに優れた事業体であってもいずれは雲散霧消します。生き死にはこの世の冷厳なる摂理です。会社が倒産しそうになったとき、社長のお嫁さんというのは泰然自若として意外と腹が座っているものです。そうしたお嫁さんを私は何人も見てきました。男は駄目な場合が多いようです。企業が倒産しそうになると惨めなほどうろたえ、動揺します。事業も寿命と同じで、いつどのような事情で死ぬ(倒産)かもわかりません。その覚悟は耐えずしておかねばなりません。倒産は悪い予想ですが、しかし悪い予想がでることで、それを避けようとする思いが潜在意識に入り強いエネルギーとして働きます。すなわち危機感の醸成が事業を永続させるのです。
悪い予測というのは、チャンスでもあります。私が昔初めて生命保険に加入したとき、ニッセイのおばちゃんが、私の生まれた日の新聞のコピーをサービスしてくれました。確か朝日新聞でした。その記事を読みますと、昭和30年代に食料危機が来ると書かれていましたが、未だそのようなことはありません。
 危機が予測されたとき、人はそれを避けようと必死の努力をします。従って悲観的な予測は大概ハズレるものです。

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