19年度の終わりに(19.12.31

19年度の終わりに
平成19年も終わろうとしています。本日(30日)の夕刻、近くの池まで散歩に出かけました。犬を連れたお年寄りがやたらと目につきます。若い人はこの時間帯に散歩に出ることはあまりないのでしょう。そういえば私も2~3年前までは殆ど散歩などはしませんでした。
 またお年寄りに目がいくというのも、私もそれなりの年になった証拠なのです。
60歳を迎えて以前と違うところは、10年後の想定ができないというところだろうと思います。40歳になったときは40代の生き方がおよそ想定できました。50歳になったときも50歳代の生き方が想定できました。
しかし今の私に果たして10年後があるのかといわれると、首を傾げざるをえないのです。
昨日(12月29日)はおよそ1年半ぶりで、事務所近くの大木歯科に行きました。それは歯に痛みを感じたからということではなく、いわば歯の健康診断と掃除をしてもらうためでした。結果は何事もなく院長からは歯の状態を誉められました。やはり何事でも誉められるというのは嬉しいものです。
 歯に限らず今のところ、体に異常はありません。今年は50回の山登りを計画し43回を達成しました。金剛山を初めとして大峰山系の山々を日曜日ごとに踏破してきました。3年ほど前に軽い心筋梗塞で冠動脈にステントを入れましたが、幸いにして心臓そのものへのダメージもなかったようで、いたって健康です。
 それでも60歳というのは、今までとは明らかに違います。どうやら60年を生きたという意識が自らを規定しているようなのです。しかしその60年を生きたという意識とは多分に感覚的なもので、時間軸に基づくものではありません。60年=21、900日の時間というのはどのような時間であったかというというのは、意識下においては理解不能です。
 時間は私とは関係のないところで流れているようです。しかし確実に流れております。
燃料効率の悪いエンジンのように無駄ばかりして時間を浪費し、今日を迎えたことになります。ではどのように生きれば時間は無駄では無かったのかいえば、これもまた難しい問題で正解などないのでしょう。
 考えてみれば人生は無駄の集大成のようなところがあります。人は皆その生き様において、よりよく生きようと努力しているものです。しかしよりよく生きようとして間違ってしまう、ということもよくある話です。
 禅宗のお坊さんだと前後を裁断して今を生きよといいます。これが念仏系になると過去世が今世を作り、今世が来世を作るのであって、今世が不運なのは前世の因縁なのだということになります。そこで今世が不運だからといって自堕落に生きれば来世が救われないことになります。
そうであれば、どういう状況下であれ今を懸命に生きるしか、方法がありません。禅宗で考えても念仏系で考えても、つまるところ前後を裁断して今を生きるということになります。
では、今をどう生きれば満足した生き方になるのかということですが、人生を無駄の集大成と考えれば、自らがどのように生きたいのかを考えて、その考えた通りに生きる以外に手立てはありません。どのように生きたいかという命題はどのように逝きたいかということでもあります。
そうした思いなり念なりが結局は人生を創っていくのだろうと思います。あとはケセラセラということになるのでしょうね。
しかし、どのように生きたいかという問題は、具体的な話になるとやはり難しいものです。人というのは自分がわかりません。日常底において自らを観察したとき、自分が何を考えているのか、というのは意外とわかりません。
人の情報器官には、目耳鼻口体があります般若心経でいえば眼耳鼻舌心意といってよいものです。この情報器官から様々なものが好むと好まざるに拘わらず入って来ます。入ってきたものは、心と脳が情報処理して、対処していきます。この心や脳というのは曲者で、絶えず外からの情報の中で溺れているのが実情で、日常はそれだけに終始しています。自らにどれだけの確固たる信念があるのかわかりません。
飯塚毅先生は、これが自分だと思う自分は大脳周辺系にしか存在しないといっていらっしゃいます。自分が存在しないものであれば、自分の信念や思いもまた存在しなくなります。
例えば街を歩いていて綺麗なねえちゃんを見れば、きれいな人だと思った次の瞬間、なんとかモノにならんやろか、と考えます。続いて想像のなかで衣服を脱がします。さらにちょっと歩いて、酒屋の前を通ればきれいなねえちゃんのことはすっかり忘れて、一杯飲みたくなります。
そんな状態で21,900日=525、600時間を生きてきたのです。しかしこれは私に限ったことではありません。
今生での悟り(解脱)を目的として修業をしている坊さんにも正直な人がいて「大悟18回、小悟その回数を知らず」といっています。
どれだけ修業を積んでも煩悩を抜き去ることはできない、といわば自虐的に告白しているのです。
孔子様は「朝に道を開かば夕べに死すとも可なり」という言葉を残していますが、結局はどのように生きるかという命題に苦しんでいたのかも知れません。
60年を生きてもまあこんなものです。人生というのは一回こっきりの旅路ですから、やむを得ない、と自分を慰めるのみですね。来年も時間をつくってこのコーナーを埋めてまいります。よろしくお願いします。

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