三洋電機

三洋電機が大変なことになっている。日経新聞を始め今朝(土曜日)の全国紙は一面でこの問題に言及した記事が多かった。
 つい最近まで井植敏氏を日本のジャックウェルチと持ち上げていたマスコミがあったと思うが、この叩かれようは尋常ではない。
 今朝の新聞の記事を私流に要約すれば、人事に風通しがない。従って人材が払底している。社長の井植敏雅氏は社長向きではなく、野中ともよ会長兼CEOに製造業を理解できる器ではない、等々である。多分どれも本当であろう。井植一族は結局三洋電機の公共性を理解しなかったのであろう。最近大手元オーナー企業の不祥事が目につく。西部もダイエーもそうである。根は同根、元オーナー一族が永きに渡って経営の快適性にしがみ付いたが故の結果であろうか。
 大手上場会社は誰のものであるかと謂えばやはり公共のものである。株主は有限責任であって、出資以上に責任は負わない。従って株主が会社の所有者でるからという理由でなにをやっても良いということにはならない。そもそも創業者一族は創業時にその創業利益を十分に得ているのであって、上場は同族経営からの離別を意味するものである。企業の価値はその経営者と従業員が創り出すのであるが、その価値を評価するのは市場であり、資金面では債権者が支えるという構図になっている。株主もある意味では債権者である。
不祥事の原因を観ていくと経営者の経営姿勢に突き当たる。これは中小企業でも同じである。それはまた経営者の人生観、社会観とも大きく関わるところである。
 中小企業の場合、経営者は即株主であることが多く、経営者は債権者から個人保証を求められる立場にあるから、経営に関しては無限責任を負っている等しい。このような中小企業であれば、会社は株主のものであるといって差支えあるまい。
 しかし中小企業であっても、経営者と社員の関係を機能面だけで捉え、その役割を分担し合い、財務も社員に公開している会社もある。会社の本質を考え抜けば、これは全く正しいということになる。
 でも今日の新聞報道はいずれも三洋電機の良い面を書いていないように思う。それはこの会社が電池系に強い会社であり、その面でのオリジナリテーを持っていて、他の企業に一歩先駆けているというところである。
 一連のごたごたが解決した暁には、その良い面が評価されることであろう。実は私も三洋電機の株主である。