至福
人生に明日はない。といえばハスに構えたヤクザの科白のようである。しかし人の命は判ったものではない。
知人は50歳代半ばで、突然死んだ。翌日はゴルフ行く予定であったという。
人が生きるのは過去でも未来でもなく、今である。今が充実しているかどうかが仕合せか否かの境目である。
今の充実とは何か。仕事に精を出すことか。享楽に邁進することか。それともボランティアか。寝ることか。
宴の後には空しさが残る。寝るのは死んでいるのとはさして変わらないから、今の充実には程遠い。ボランティアはやったことがないので分からない。
なぜこんなことを考えたか。実は先週金曜日、古田土満公認会計士の話を聴いたことによる。
熱い先生であった。関与先の発展に本当に渾身の情熱を込められているのがその話し振りで理解出来た。この先生、昨年のことであったと思うが、致知という雑誌(何月号かは忘れた)に随想を載せられていて、毎日駅前掃除に精を出されているというようなことを書かれていたことがある。その後古田土満の名前は忘れていたが、その文だけは妙に頭に残っていて、講演を聴いてそれを思い出した次第である。
関与先の発展を真摯に考えるということは税理士としては当然のことであるが、しかしその真摯さには、個人差、温度差がある。
しかし自らの命の充実を賭けて仕事に取り組むというのは、変な話だ。本当に関与先の発展のために、為さずにはおれないというような心根にならなければ、関与先の発展を真摯に考えるといったところで、所詮は偽善にしかならないだろう。
古田土事務所では、来客には全員起立して、挨拶をする。飲み物は1時間置きに、メニューを出して選んで貰う。なによりも所長の机が入口に対して一番前にある。
駅前の清掃を始め、こうしたことを金儲けのための偽善と考えるのは所詮、小物の僻みであろう。至福とは結果である。
私も少しずつでも見習わねばならぬ、