情報

人と会う。会って話をする。それによってのみ情報は正確に伝わる。相互に信頼関係が確立されておればなお更良く伝わる。
 一遍の知識なり事実を手紙なりメールにて正確に伝えてもそれは正確な情報にはならない。勿論、手紙やメールで事が足りる情報もある。
風景を写真に切り取る。写真に撮った風景というのは事実とはどこか違うものである。Aさんが貴方のこと、暗いと言っていたよとBさんから聞いたとする。
 あなたの反応やいかに。Aさんを恨む、あるいは怒る、そして密かにAさんとの絶交を決意する。AさんとBさんがどのような状況下で、あるいは話しの流れの中で、貴方ことを暗いと言ったのかはまるで理解が出来ていないにも拘わらずにである。
 もし貴方がその話の中に加わっておれば、暗いと言われて思い切り腹を抱えて笑っていたかも知れない。また逆に絶交どころか殺意さえ抱いていたかも知れない。
 クラウゼィッツは戦争論(「篠田英雄」訳)の中で情報について次のように述べている。
「我々が戦争において入手する情報の多くは互いに矛盾している、それよりも更に多くの部分は誤っている、そして最も多くの部分はかなり不確実である。こういう場合に将校は、或る程度の識別能力を持たねばならない、そしてかかる識別力を与えるものは、事実ならびに人間に関する知識と判断力とに他ならない。またこの際、彼が従わねばならないのは、確からしさの法則である。」
 すなわち、入ってきた情報を正確に識別するには人情に通じていなければならないと言っているのである。情報を正しく処理するには、その情報の表裏を考えることも然ることながら、正邪の確かな判断基準が自らになければいけない。
 情報化時代といわれて久しい。であればなお更のこと、情に通じ、人を大事にし、人間通であることが今日を生きる条件である。
同時に情報の発信には注意深くあらねばならないのである。