いかに見せるか

ふと目を前にやると、破れジーパンを穿いた若い女が歩いている、という光景に最近よく出くわす。去年の夏などはヘソを出して歩いている女が多かった。出ているのはヘソだけでなくスカートの腰のあたりからパンティが覗いていることもある。
 女性の風俗に限らず如何に見せるかは最近の流行であるらしい。
たまに行くラーメン屋さん(「神座=読み方はカムクラとかいうらしい」というお店)は、郊外型の大型店であるが、ここは調理場が客席から見えるようになっている。それに物造りの世界でも見えない技術・技能すなわち暗黙知をどう形式知化するかということが言われるようになってきた。
 調理場を客に見せるということと、暗黙知の形式知化の話はこれまで隠れていた、あるいは隠していたものをいかに見せるか、あるいはいかに活用するかという点では共通している。
 これまですし屋さんなどは、客と職人のやりとりで商売が成立してきたのであるが、これは回転寿司に食われた(これはちょいとした洒落である、ここで笑わなければもう笑うとこないですよ)。
回転寿司でも寿司を握っているところを客に公開している店もある。
 回転寿司が流行るのは値段の問題でもあるが、職人と会話しながら注文するスタイルが嫌という客が増えたことも関係しているのだろう。
 また、清潔であることが過度に要求されるような社会になってきているのであるから、そうした意味でも調理場が公開されるというのは、悪いことではない。それに職人さんとの会話は苦痛でも、その働いているところを見るというのは客の立場からしても楽しいことである。
 昼飯はよく近くの飲食街にいくのであるが、10年1日のごとく代わり映えのしないお店が何軒かある。 
たまには改築して演出を変えるとか、明かりを増やすとか、同じ素材を使うにしても盛り方をかえるとかしたらよいのではないかといつも思う。
 しかし破れジーパンで街をふらつく娘さん。肝心なところは見えないようにしている。
いかに見せるかという命題は、いかに見せないかという命題でもある。