年の初めに 平成23年

年が革まっておめでとういうのは面白い感覚です。しかし1年が過ぎて、あるいは1つ歳を取っておめでたいことなどありません。ただこの1年を無事に終えて、新年を迎えたということを寿ぐということであれば、やはりめでたいのかも知れない。
誰でもそうですが、おぎゃーと生まれ、後は死に向って一直線に進むのです。人の究極の目的は死ぬことであり、毎日は死ぬためにある。
この世は一回こっきりの旅であり、私が二度この世に生まれることはありません。輪廻転生をして、次もこの世に誕生をしたとしても、それは今の私ではない。
そうであるなら毎日を充実させ、懸命に生きなければならないのであるが、いつも燃焼していない自分がいる。
勿論その都度は懸命のつもりでも、どこか頼りなく間が抜けている。毎日が後悔の連続でもある。マエストロで書かして頂いている文章なども、少し時間を置いて読めば噴飯ものです。

年が革まっても、あるいは誕生日を迎えても、ちっとも嬉しくありません。ノーテンキに誕生日オメデトウ、という感覚が私にはない。
私という人間を他人のような目でしらーと眺めると、何の脈絡もなしに、人の役に立っているような顔をしながら、ただただ人の世で右顧左眄しつつ寄生しているだけ、といったところでしょうか。
しかし自身が生を受けて平々凡々としていることへの憤怒がまたある。実際これまで何もできておりません。時間だけが流れていく、それを思うと身の置き処がない。

その癖妙なもので、生きたことの証(尺度)が欲しい。現在人はすべからく経済活動に従事しています。事業家は勿論のこと、大概は持金で会社や自分を測っています。すなわち由り良く生きた、社会に上手く適合した。その尺度が残った財産というわけです。
 財務会計においてキャシュフローというのは正しくこのことで、お金がどれだけ残ったかが、人生を生きたメルクマールなのです。
勿論お金以上の価値があるものとして、勝れた政治家や軍人としての栄誉栄達の道もあります。しかし現在は、そのような人物の活躍する場はありません。それは民主主義と平和の時代の配当でもあります。
 私も昔は村の共同体で生きていた。その記憶はかすかにありますが、今は違う。
我々は挙げて金、金、金の世界に生きている。最早昔の人情の世界には戻れないのです。やはりここを直視しないわけにはいかない。素直に認めるべきです。金は手段でしかないにしても、あれば目的の達成には十分な効果がある。

しかしお金は人間界のものであって、自然界にはない。山に入って、木々の茂りに身を置き、あるいはせせらぎに目をやれば、お金がいかに醜悪なものであるかがわかります。
 そして自分の着ているものを、一つ一つ剥いでいく。肩書きを剥ぎ、生活の基盤たる仕事を剥げ、家族を剥ぎ、友人知人を剥ぎ、この世を生きていく上で必要なものを全て剥いでみる。そうするとそこのあるのは、頼りげない自分が残るだけです。
宇宙は暗闇である。生命が死に絶えた無の世界と言っていい。そこに学べば、日がな1日、寝てるだけ、虚無のみが存在します。

太陽の光りがさす地球はそうではありません。四季の運行には一秒の狂いもなく、繰り返し繰り返し自然界は、その折々で妙なる調べを見せてくれます。では人間は自然を限りなく模倣できるのか。
できません。生の荒ぶる自然より冷暖房が効いて、食にも不自由しない加工された環境がいいに決っています。そこに学べば、「雨にも負けず・・・」宮沢賢治の世界を理解するのが精々ではないか。
かなり極端なことを書きました。茫洋としていますが、私の現状と自己の認識は以上のようなものです。ただしこの認識が本当に私のものかどうかは、分かりません。
 生命現象は不可解なものであり、たかが知れた私の脳味噌が、いくら懸命に現状と己とを思考したところで、その結論もまたできのいいものであるはずがない。また阿頼耶識が宇宙と繋がっているとすれば、自己が不可解なのは十分な理由がある。

このような自己認識の視点に立って、平成23年度をどのように俯瞰するか、ということです。
1年の計を立てる、というのは難しいですね。それは詰るところ自己認識と己の置かれた制約条件の中から、どのような選択肢を選ぶかということになります。私の意志など殆ど関係がありません。と言っても、その制約の中からこの選択肢が生まるのですから、その選択肢は私自身でもあります。
 そこで今年の私の内なるテーマは「同行二人」といたします。
これは考えれば考えるほど奥が深い。
例えば飯を食うときは、それを噛んで舌で味わい、さらにその嚥下を味わう自分を観察する。歩くときも、殆ど無意識で行う足の裏の感覚を観察する。
女性とすれ違うときは、ちょっと想像する自分を観察する。
では誰がそれを観察するか、それはアダムカドモンです。アダムカドモンが私の主人公、ということを徹底的に薫習したい。
これを端的に云えば、自己をより深く理解したいということです。ただ「ダイエット」や「英会話」と似たところがって、継続できるか。
もう一つ外に向かうテーマとしては、業務での奥儀を極めるべく研鑽する、ということでしょうか。まあこれは毎年のテーマです。クドクド書きません。

月並みですが、では皆様改めて、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。何?アンタからオメデトウ云われても嫌味にしか聞こえん?。まあまあ。