ある男の事業再生物語

1事務所を尋ねた男
 最近のことで生々しい話ですから、相談者の事業内容、借金の額などその内容は割愛いたします。その相談者をこのコーナーでは親しみを込めて「ハッちゃん」と呼ぶことに致します。ハッちゃんはある日、飛び込みで私の事務所に来たのです。頭はやや薄く、小太り、日に焼けて、健康そのものの男です。年齢は七十歳前後とお考え下さい。何回かの面談の後、とりあえず資金の内部留保を図らねばならないことがわかりました。そこで借入金の返済猶予をお願いするため、訪問日の打ち合わせをして、一日で金融機関五行を廻ることにしました。どの金融機関も好意的に、話を聴いてくれました。銀行にはハッちゃんの経済状況の話をして、銀行のスタンスを観察し、返済猶予を願うにあたり具体的にどのような手続きをすればよいかを確認するためのものでした。ハッちゃんとはある駅で待ち合わせをして、ハッちゃんの車で廻ることになっていたのですが、待ち合わせの朝、何と彼は高級外車で来たのです。勿論高級外車のまま、銀行の窓口を訪問するわけではありません。車は駐車場に置きます。銀行にはハッちゃんが、どのような車で訪れたのかは分かりませんが、借金の返済猶予のお願いにいくのですから、本当なら軽トラックぐらいの方が良いに決まっています。ハッちゃん、本当に事業を再生する覚悟を持ってのやろか、というのが、当日の印象でした。その後この不安は的中します。

2素性
 事業再生というと、なんやしら小難しいように思われるかも知れませんが、問題解決の優先順位を決め、一つずつ実績を積み上げていくだけの話です。問題の解決には、プロの手が必要となるわけですが、「財務のプロ」「銀行交渉のプロ」「不動産のプロ」は最低必要だと考えています。それと再生にかかったときには、ベテランの「事業コンサルタント」も必要になる場合があります。銀行を廻るまで、ハッちゃんとは面談を何回か繰り返しました。そのなかで、私もハッちゃんの再生にはどの局面でどのプロに相談をかけ、どのような最終決着に持っていけるかのイメージを膨らましていくわけです。事業が破綻するというのは、時代的背景も然ることながら、矢張りハッちゃんの性向なり、考え方なりに負うところが多いのも事実です。ここでハッちゃんの人柄について触れておきます。本人は見た目には明るく、お金に困っている素振りはありません。またハッちゃんは会社において2つの事業体を持っていました。その事業の他、個人でも不動産賃貸事業をしており、いずれも借金まみれでした。最初ハッちゃんは私に二種類の名刺を出しました。それぞれの事業体ごとに名称も違っています。本名以外にも、通称名を書いてあり、明らかにゲンを担いだような勇ましい名前がついてありました。それに名刺の台紙も、会社の封筒もすべて黄色でした。なぜ黄色なのかと尋ねると、縁起のよい色だからという回答を得ました。こうしたところから、ハッちゃんはこれまでムードを大切にしながら、自分の思い通りに生きてきて、それで人生の前半はそれなりに成功を収めたのであろうと推察した次第です。

3これまでの歴史
実はハッちゃんが事業再生の話を、私に持ちかけたのは私が初めてではありませんでした。既に二人の税理士を廻ったあと、私のところに来たのです。そのことを知ったのは、ハッちゃんの住所が偶然その一人の税理士と住所が近かったからです。この二人の税理士は私もよく知っています。私はその住所が近い方の税理士にその経緯を尋ねました。決してハッちゃんのことを良くは言いません。ハッちゃんにも、どうして前の税理士と話が進まなかったのかを尋ねました。ハッちゃんはハッちゃんで、その税理士を良くは言いませんでした。私は尋ねた税理士とは深い付き合いがあります。ハッちゃんの言い分に、理はないのは明らかでした。しかしその税理士いわく、まあ一度話は聴いてやってくれ、ということでした。ハッちゃんの事業再生の話にはこのような背景がありましたので、私としても、半信半疑で受けたのです。銀行廻りの道すがら、ハッちゃんが話をしたところでは、奥さんはハッちゃんの経済状況は知らないようでした。おそらく奥さんには何も話はしていなかったのでしょう。ハッちゃんは家庭でもワンマンで、奥さんには状況を話せないのかも知れません。破産するにせよ、再生するにせよ、家族の理解は是非とも必要です。幸い息子さん二人は立派に成人されて、それぞれ名のある企業に勤めています。事業再生の話を進める上では息子さん方はそれなりの役割を演じて貰えるであろうと思いました。またその息子さんの一人で銀行に勤めていらっしゃる方は、ハッちゃんの困窮は知っているようでした。

4私の考え
 私がハッちゃんとの話のなかで考えた、ハッちゃんの事業再生は次のようなものでした。まず個人の賃貸マンション一棟は、金融機関と交渉の上、奥さんと息子さんに譲渡をします。ここから上がる収入はハッちゃん夫婦の老後の生活資金となります。残りの一棟は手放し、借金の清算を図ります。幸い奥さんも息子さん方もハッちゃんの借金の保証人にはなっていないようでした。ただ奥さんの方が本当に保証人でないかどうかは、キチンと確認する必要を感じていました。というのは、案外こうしたケースでは、奥さんが知らない間に保証人になっていて、それを頼んだ本人も忘れてしまっているということが、夫婦間では在り得るからです。会社の事業のうち、一つは利益が見込めますので会社分割をして、分割会社に移します。もう一つの事業は、時代の背景からして利益も成長も望めません。しかし数人のベテランの社員が配置されていますし、長年培ってきた商権は捨てがたい魅力がありましたので、事業譲渡を行い、商権ごと従業員さんも含めて同業者に引き取ってもらうというものです。従業員さんには幸い中退共での積み立てもありましたし、仕事が継続すれば失職しないでも済みます。ハッちゃん自身は年齢もそれなりにいっていますから、こうした一連の作業を終えた後、状況次第では自己破産をして貰います。このような一連の手続きを踏むことで、いきなり破産をするよりも、金融機関に対する配当も多くなります、それは今後金融機関との話のなかで詰めていかねばなりません。

6その後
 事業再生というのは、法的破産とは違った苦しみがあります。これは私の観測ですが、法的手続きで破産に至った場合、当事者は当座、資金繰りの苦しさから逃れられ、落ちるところまで落ちた、という安堵感を持つようです。しかしそれは一時の開放感でしかありません。破産手続きの進行中は気持ちも張っています。問題は一通りの手続きを終えた後において、塗炭の苦しみに浸ることになります。また事業家にとって破産というのは、商権から人間関係、金融機関の信用まで全てを失うのですから、もし再起をかけようとしても、マイナスの状態からの出発となります。一度落とした信用は十年、二十年の時間を掛けても容易には戻りません。ある会社が破産したとき、「あいつがまたやった」という評価を聞いたことがあります。従ってそれはまた新規創業とも異なるわけです。事業再生においては金融機関の信用は失うかも知れませんが、商権とそこにまつわる人間関係は残ります。そしてこのことがとても大事な要素となるのです。事業再生というのは、ある意味では本人個人の信用と情熱を改めて問うことです。債権者に対する債務返済交渉、金融機関との借金整理交渉等、自身が中心となり積極的に解決を図らねばなりません。緻密で手間のかかる大変な作業ですが、これをやり遂げれば、新たな信用創造となるのです。それは本人にとっても自信となりますし、修羅場を潜った男ということで、世間の評価も上がります。

事業再生の覚悟(6)
ハッちゃんと銀行廻りをしたあと、私はハッちゃんにすぐ手紙を書きました、各金融機関との打合せの中で要請された事柄、今後の計画・方針など、今後ハッちゃんが整えなければならない書類等とその方向を認めたのです。こうした交渉の席での話しは、相互に中々正しく伝わるものではありません。当事者というのは、緊張の度が過ぎて、相手の話を充分に咀嚼できてない場合というのが結構あります。そうした確認の意味もあって手紙を書いたのですが、しかしその後、ハッちゃんからは何の連絡もありません。一度会社の方に電話も入れてみたのですが、女性の職員さんが出られて、直接本人に話をして欲しいと気のない返事をされました。それはハッちゃんが社長とはいいながら、会社においても浮いていることを暗示させるものでした。別にハッちゃんに腹を立てたわけではありません。ハッちゃんにはなぜか憎めないところがありました。大柄でいたって健康そうで人なっこい目をしていました。これは想像ですが、ハッちゃんは事業再生を魔法の小箱を開けるようなノリで興味を持ったのでしょう。私ところに来る前に二つの会計事務所を回ったのも、魔法の小箱を期待したのでしょうか。銀行回りをして三月ほど経過したときに、廻った金融機関の三行から、その後どうなっていますかとの確認の電話が入りました。ハッちゃんは相変わらず借金の返済はキチンと継続しているようでした。しかし、経営環境は確実に悪くなっていますし、ハッちゃんの資金状態も好転したとは思えません。ハッちゃん、どうするのでしょうね。

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