最近の相談例から

6月ごろ、不意の訪問者が当事務所を訪れた。会社の経営をされていて、お歳は70歳。借金の額や、事業内容、規模等について、ここでは触れることを控えさせて頂く。
 相談の内容は事業が劣化し、抱えている借金の返済が窮屈になってきているが、破産はしたくないということであった。会社の決算書を見せてもらうと手形の発行もしていて、当人からは資金注入もあり、しかもそれを免除して黒字を装う工夫までした形跡がある。支払手形は、いざというとき決済の中止が困難であり、その存在は難儀である。
 飛び込みのお客さんは、歴史も背景も判らないので困る。いくつかの方策を提示した。その一つは現在取引のある銀行以外の金融機関で普通預金の口座を開けというものだ。暫くして、いずれの金融機関からも新規口座の開設を断られたと返事があった。唯一郵貯銀行のみが可能であったらしい。
それは想像するに、金融機関とトラブルを起こしていてブラックリストにでも載っているということだろう。
 次に急いでしなければならないことは止血だ。借入弁済をストップして時間を稼ぎ、内部留保資金を増やさねばならない。その留保した資金でとりあえず手形の処理をする必要がある。
日を決めて取引金融機関5行を回ることにした。待ち合わせは、阪神間の某駅。本人はなんとベンツで来た。
 金融機関を回る目的は、返済条件の変更である。要するに最低1年間は返済を猶予願いたいとの交渉に行くのである。ベンツは勘弁願いたいと思い、その旨を伝えたが、今更車種を変更するわけにも行かない。まあ私も同じ乗せて貰うなら、軽トラよりはベンツの方が良い。
 当日の交渉内容は返済の具体的な額を決定することにはなく、事情を開陳して、各金融機関の意向を打診、今後の手筈を検討することにあった。
回った金融機関はあっけないほど好意的にこちらの話を聞いてくれた。
道すがら当人が曰くに、奥さんはまだ当人の状態を知らないということであった。亭主はその経営をしている会社の状況を妻に知らせていないということは、よくあることだ。私の関与先にもそのようなところがある。
奥さんは豪華客船にでも乗っているつもりなのだろう。板子一枚、下は海流渦巻く地獄であるということを、知らないのだ。
地獄に落ちるまでは居場所が桃源郷と思っているのが幸せというものである。
私が考えていたのは次のようなストーリーである。
破産手続きを取らないで、再生に導くといっても、資産の全てが護れるわけではない。また迷惑を掛けた金融機関に対しては破産配当以上の返済ができるようにしたい。この想いを欠けば、事業再生は体の良い詐欺となる。
具体的には最低限本人夫婦の居宅を残すこと、それにあわよくば老後の生活確保のため、貸家の1棟でも残すということであつた。
 そのためには奥さんや、子供たちの協力は是非必要だ。当人には子息が二人いて、いずれも世間体の良い会社に勤めているようであるから、金融機関との最終の交渉段階では、役に立って貰えるであろう。
 会社の従業員さんはベテラン揃いのようなので、この部門は切り離して同業者に営業権ごと引き取ってもらえば良い。またもう一つの事業は幸い利益が見込めそうだから、会社を分割してそこに移せばよいだろう。
分割した会社は子息かあるいは有能な知人にその経営を頼めば良い。場合によっては売ってもよいのだ。
このように、終着点が具体的にイメージ出きれば、あとは手続きを踏むだけである。
 しかしその後、当人からの連絡はない。現状を固定して一抹の僥倖にすがるつもりなのだろう。
今後の方針書は文書にして渡してある。そこには、今後私が業務を遂行する上で必要な書類のいくつかを提出願うようにも認めている。また奥さんや子息の協力が必要になるであろうことも書いている。いわばボールは当人が握っている状態なのだ。
 私としては、この業務の深追いをするつもりはない。というのはこの話が持ち込まれた後、一つの疑念が生じていたからであった。それは私の事務所にくる以前に、既に二つの税理士事務所を渡ってきているということと、前の事務所ではトラブルを起こしたということを聞いたからである。前の事務所というのは私の懇意にしている税理士事務所であった。
 従って当人からの、報酬の類である金銭の授受は今のところ一切無い。ペーパーベースでの契約もしていない。そのようなことをすれば、私もそこに呪縛されるのは目に見えている。
 70歳の身を今後どうするのだろうと思う。このままではいずれは破産もやむを得まい。すべてを失うであろう。
縁無き衆生は度し難し。お釈迦様の言である。