平成25年 初夢
私は平成25年という年に期待をしている。かなり希望の持てる年になるではないか、
そういう予感がするのである。大きなところでは、戦後の政治体制が終わり、いよいよ日本が日本の伝統に回帰するときが来たのではないか。
安倍首相には心からエールを送りたいと思うし、また今後少なくとも4年間は健康であって欲しいと願っているところである。
伝統に回帰するとはどういうことか、それはより本質的には天皇を中心に頂いた、日本人としての心地良い連帯意識が未来永劫に続くことが信じられる社会になるかどうか、ということに尽きる。
皇室というのは日本と日本人にとっては、故郷と云えるものであり、皇室が日本から消えれば日本は日本でなくなる。
民主党政権下における鳩山由紀夫、菅直人それに野田佳彦の各氏は、この世で見える物にしか目が届かなかった。
しかも水平線上に世界の平安があると考えていたのである。安倍首相はそうではない。
戦後というもの、とりわけ民主党政権に私が抱いていた亡羊とした不安というのは、この点に尽きる。
明治になって、なぜ天皇が日本の元締めとして登場したのか、ということであるが、欧州でも米国でも、キリスト文明があり、彼らはその基に一致団結ができる。
ところが日本は八百万の神々で賑わう国柄。
それまでの幕藩体制というのは緩やかな連合体制のようなものであり、明確には国家としての日本は意識されていなかった。
しかし海外列強の前には、それでは太刀打ちができない、ということで、欽定憲法下においては天皇を統治者としたのである。
列強の出現により、日本は改めて天皇という日本の宝物を意識したのだ。
万世一系というのは、天皇を頂点として、日本人には同じ血が流れているということである。
すなわち同じような思考と慣習が日本人を支配していて、その頂点には天皇がいる、ということで明治の先達は国をまとめようとしたのだ。この為政者の知恵はすばらしいと思うのである。
国家を1つにまとめる要素とは何か、それは日本においては最大公約数的には、やはり天皇家でしかない。
戦後はこの点が曖昧であり、不安もそこにあったと思う。そうした中にあって昭和天皇もそうであられたが、平成天皇がこの日本において、燦然とした輝きを放っていらっしゃることを、私はとても誇らしく思う。
美智子妃も素晴らしい役割を演じておいでになる。
オバマも天皇にあって深々とお辞儀をした。皇室の品格は、個々の日本人の品格でもある。そう思って差支えはない。
もし日本に皇室が無ければ、日本は東洋の一地域でやたらと金儲けだけが上手い民族と成り果てるだろう。
日露戦争で当時の世界の最貧国がロシアに勝てたのは、日本国が一致団結したからである。
天皇家を崇め奉ることは国家神道である、といわれればそのとおりであるが、これも憲法を変えれば済む話だ。
つまり、国家神道で何が悪い、という状況をつくりだすことなのだ。
中国や韓国を観ていて感じることであるが、彼の国には日本の天皇に当るような紐帯は存在していない。本質的なところで神がいないのである。
神の存在が真・善・美への理解を生む。神の存在がなければ、我が張り合うだけの世界となる。おそらく今後とも中国と韓国は古代のままである。
今の皇室は、ハイウェイのど真中で孤高に耐える古木のようなものになっている。
これではいけないのだ。日本の復権は皇室に始まる。平成25年はその萌芽が見える年なのである。
しかしそれは、国民の生活がすぐさま良くなり、生活が豊かになるというようなことではない。日常の苦痛はいつの時代もある。
それは人として五体を持つものの宿命である。そんなことは二の次なのだ。
大事なことは足下の大安心が得られるかどうかなのである。
100年後も凛とした国柄として日本が存在する。それが信じられるかどうかと云うことなのである。
敗戦直前、多くの優秀な若者が、自らの意志で特攻に行った。それは日本を護る上で後に続くものあり、との確信があったからである。
彼らは未来永劫に輝く美しい日本を信じて逝ったのである。
ようやく、彼らの信じた日本が復活する。それが今年なのである。
国柄が正しく確定すれば、経済もその延長線上を走るであろう。
安倍首相は今年の6月までは経済の立て直しに力を注ぐと思う。
国民の半分は経済さえよくなれば喜ぶ。そうなれば自民党は参議院選挙も有利に戦え、参議院の議席も大半を占めることになる。
そこで、尖閣を巡って中国との軍事衝突直前まで持っていく。但し鉾は交えない、その代わり極秘に中国の軍幹部を日本の金で買収してしまい、一気に憲法改正に持ち込む。
日本の本気度を示したその後、北朝鮮と交渉して人質を取り戻すのである。私が首相であったなら、そういうことしてみたいなあ。
以上が今年の初夢です。