マルチン・ブーバーの喫茶店

歌山の海岸沿いを南に走ると、串本の手前がすさみ(周参見)である。
すさみからの太平洋の眺望は、それが夏場であっても冬場であっても魂の解放を味わうには申し分のないところである。もう死んだが中上健二はこの辺りを題材に「枯木灘」を書いた。
その日は11時過ぎであったろう、すさみの高台にあるある喫茶店に入った。
この喫茶店は、白い洋館で、眺望にはよく溶け込んでいるが、地元では見かけない造りでもある。
駐車場から白く塗り詰めた庭を横切り、階段を数段上がってドアを開けると、老人が1人居た。喫茶店には今年の冬にも入った。これで3回目である。
海に向けて1畳ほどの窓があり、この日は開けっ放しであった。冷房はない。
ここにに始めて入ったのは、およそ20年も昔のことだ。
そのときは、このマスターとそれに若いウエイトレス1名、他にも客がいた。テーブルの上に小さな張り紙がしてあり、「話すな。椅子を動かすな」というようなことを書いてあった。痩せぎすのマスターの顔たるや、生まれてこの方、一度も笑ったことがないようである。
椅子は全て窓側に向いており、それは「コヒーは静かに飲め、窓から空と海を眺めろ」という、指図なのだ。確か煙草も禁止と書いてあったと思う。要するに気難しいマスターが、客に肩苦しい思いをさせながら、経営している店だったのである。

 一回入った切りで、爾来ご無沙汰をしたのは、この張り紙ゆえのことだ。しかしその後も何となく気になる喫茶店であった。
 この冬、久しぶりで訪れると、80歳ばかりになったと見えるその老人が、昔の面影のまま1人居た。
客は私ら夫婦だけであった。コヒーを二つ注文した。
しばらくしてこの老人が口を開いた。
「おじいちゃんは、いつお迎えが来てもいいのだけれど、まだこないのよ」と云うのである。この話が記憶に残っていて、8月15日も入ろうということになったのだ。
 8月15日も、喫茶店のドアを開けると、彼の老人が1人、フランス語の辞書を横において、やはりフランス語なのであろう、手紙のようなものを書いていた。
 冬来たときと同じように、コヒーを二つ注文すると、そのヘンコ老人がまたしても「おじいちゃんは、いつお迎えがきてもいいのだけれど、まだこないのよ」と云う。
 私は「この冬も、そのようなことをおっしゃっていたので、また来てみたのですよ」と茶化した。ヘンコ老人はニンマリとした。
サイホンで沸かしたコヒーは、味は悪くはないが、ミルクは少し古いようであった。
 「話すな。椅子を動かすな」と認めたあの張り紙は既になく、昔の印象とは違ってよく喋るのである。人間が丸くなったのだろうか。いや20年の歳月を経て、私の方が丸くなったから、話しかけてきたのかも知れない。
 その後の話の内容は、冬来たときと同じようなものであった。
私は、爺さんに育てられた爺さん子で、お年寄りの話を聞くのは嫌いではない。それが老いの繰言であっても、楽しめるのである。
 昔は旅行三昧で海外を旅した話、行く先々に女が居た話、30年ほど前に、初めてすさみを訪れて、この地が気に入り、この洋館を建てた話。それも自身が指図して職人を動かし、基礎を築いた話。建物に遣った石などの素材も中近東あたりから取り寄せた話。
私も「すごいですねえ、30年も経っている割には、歪みはありませんねえ」と合槌を入れる。話をさらに聞くにはその気にさせるに限る。
この買い求めた土地も、50メートルほど下にある海岸まで個人の私有地であったことから、難なく買えたという。
 深く調べたわけではないが、海岸沿いというのは、管理権が国にあるということを、弁護士から聞いたことがある。従って簡単には売買はできないと思うのだが、それが買えたということはこのヘンコ老人にツキがあったのだろう。
 それにヘンコ老人は、下の海に行ってスッポンポンで泳ぐのだそうだ。
泳ぎだすと魚がいっぱい寄ってきて、ぽこちんをつついたりするから、くすぐったくてしょうがない、という。まるでマルチン・ブーバーだ。魚から好かれるというのは、想像であるが、魚の殺生はしたことがないのだろう。

 スッポンポンで、黒潮に浮いたんなら、イワシが寄ってきて、ヘンコの白髪まみれのヘノコつつくんやろな。仲間やと思うのか知らん。そのうちやで大きなトトが、ゴカイとゴカイして食い千切ったらどうするのやろ。
アホな想像は止まるところを知らない。

 好奇心から「魚は、食べられるのですか?」と聞いてみた。するとヘンコ老人は少し困ったような顔で、あまり食べたくないが、魚好きの女房が食べろ食べろと勧めるというようなことを云った。
私は今でこそ、川釣りなどはしないが、子供のころは、川遊びが大好きであったし、アマゴや、鮎、それに鰻などはよく取って遊んだものである。魚もよく食べる。従って川でも海でも魚が私に寄ってくることなど有り得ない。
 すさみは道路の北側がすぐ山だ。このヘンコ老人は、山歩きもよくするという。するとウリ坊が寄ってくるのだそうだ。母猪も警戒しないでそれを見ているらしい。
 これはもう私の領域ではない。何せ子供の頃は、冬は山に行って罠をしかけて、うさぎやたぬきなど獲った記憶がある。
それに、生まれたばかりで、まだ目の開いていない子犬を近所から頼まれて、川に捨てにいったことも何度かある。橋の上から一匹ずつ落とすのである。子犬は少し泳いで、やがて淵に沈む。
 それにこのヘンコ老人は、今まで病気をしたことがないのだそうである。風邪も引いたことがないという。風邪の菌とも和解ができているのだろう。
 店の大きく開いた窓からは海と空が一望できた。遮るもののない澄み切った空と、青く深みを帯びた黒潮の海は、はるか彼方で一直線に交わっている。暑いという感じはしない。また窓の左手には、夏の盛りの緑濃き山々が悠久の時を刻んでいる。
 「お浄土を願うのであれば毎日この窓から、日想観でもされればいいのではないですか」というと、ニッソウカンとは何かという。
私が事務所を置いている天王寺の上町台地には夕陽丘という地名がある。夕陽丘というのは、昔から夕日が綺麗なところで、四天王寺にはその日想観をする場所が今でも残っている。
法然上人もこの地で、日想観をしたということが記録に残っている。日想観とは、浄土往生を願って、夕陽に祈ることなのだ。
 私は、この日想観について簡単な説明をした。するとヘンコ老人は、昔のやや気難しい顔になって、それはおじいちゃんには関係がないことだ、というようなことを云った。
 自らは自然そのものであって、大調和の内に生きている。従って浄土往生を願って日想観をすることは、まだ自然と自己との間に隔たりを認めることであると考えてのことだろうか。
その辺を確かめに、また会いに行くか。